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February 1, 2002

Globalization

 国際化、そしてグローバル化と言われてもう何年になるだろう。世界市場を目指して破竹の勢いで海外に進出していた1980年代は「国際化」というコトバが使われ、実質的に国際化が進んでいた時代であったと思う。日本企業の国際競争力が高く、日本的経営がもてはやされていた。その秘密を紹介したEzra Vogelの本 Japan as Number One は1979年の出版であるから、世界の国々から熱い視線を投げかけられていた時代である。プラザ合意後の急速な円高も克服した日本企業は、国際化の波に乗って海外に事業を展開していた。アメリカ市場での日本企業の直接投資が過去最高を記録し、三菱地所のロックフェラーセンタ買収、ソニーのコロンビアピクチャー買収などでその頂点に達した。「The Japan that can say "no"」(石原慎太郎・盛田昭夫共著)や「Made in Japan」(盛田昭夫著)が出版されたのもこの頃であった。

 そして1990年代、バブルがはじけて日本経済は失速、長い景気低迷の時代に入る。日本企業は満ちた潮が引くがごとくに海外市場から撤退していった。遺されたのは、日本では不良債権処理が代表格であろうが、アメリカでは現地法人の従業員訴訟や顧客契約違反など負の遺産処理であった。そうした陰の暗い世界には蓋をしたいのが日本人の習性なのかも知れず、白日にさらされ評価されて将来の道を開くための教訓として学ぶ謙虚さと努力が少ないのではないか。同じ頃、アメリカはクリントン政権配下でインターネット革命が進展し、レーガン政権以来の税制改革や規制改革が効を奏し、またITRDやヘルスケア、ナノテクなどの国家プロジェクト、あるいはGPRA93に代表される行政改革を着実に進めていた時代であった。

 世界は、サミュエルソン教授の「文明の衝突」を裏付けるかのように民族紛争の激しさが増した時代で、「グローバライゼーション」という言葉がしきりにメディアをにぎわすようになった。人口爆発と貧困の問題がその背景にあるというが、政治・経済・社会の「グローバル化」を唱える急先鋒はアメリカの政府・企業である。それらの裏にはアメリカの石油戦略を基軸とした覇権主義、ネオ保守主義の台頭があることは事実であろう。とくに911同時多発テロ以降のブッシュ政権の在りようとその行く末には危うさを感じる。

 こうした時代背景の中で、アメリカの中の日本人としての視点で、筆者が経験してきたことを振り返ってみたい。1980年代、日本の古き良き時代に、双子の赤字を抱えリストラの嵐が吹き荒れていたアメリカでは一体何が起きていたのだろうか?アメリカが日本から学んだことはなにか?それらを活用してアメリカ政府や企業経営者は、国際競争力を取り戻すために何をしたのか?・・・そして1990年代のアメリカで、日本企業の現地法人でいったい何が起きていたのか?語られることのない陰の世界の実態は何であったのか?それと同時進行していたアメリカの国家戦略(行政・技術・軍事)とベンチャー投資戦略、M&Aの嵐とインターネット革命、それ先導する起業家群像・・・。語るべきことは数多くある。

そうした記憶に残る歴史と時代認識を考え、その実態をもう一度観察・評価し、そこから得られる教訓をもとに、これからの日本の企業・社会の在りようを考えてみたいと思う。かつてブログにも書いたが、現在の日本の在りよう、いま起こっていることが、80年代あるいは90年代のアメリカで起こったことと非常に類似している。80年代のアメリカでの規制撤廃(Deregulation)と市場原理に根ざした競争が進み、90年代に自信を回復し、国際競争力を取り戻したアメリカ経済。しかしその裏には大きな貧富の差を生むという社会的犠牲があることを忘れてはならない。同じことがいまの日本で起きていると考える。その例証もあげながら、過去(アメリカ)と現在(日本)の対比からこの国の行く末を考えたいと思う。